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名古屋駅西ニュース

昔と今と未来を見つめる「駅西対談」

駅西の昔・今・未来にバトンをつなぐ「駅西対談」
それぞれの世代、それぞれの立場から駅西を見つめ、街を盛り上げてきた人たち。
そんなお三方に、名古屋駅西エリアの過去、現在、未来について対談形式で語っていただきました。

※喫茶リバーにて対談しました。


対談者ご紹介

※写真左から順に

名古屋駅西銀座通 商店街振興組合 会長
玉樹 一浩

1969年生まれ。
修行時代を経て、創業125年の着物仕立て専門店「玉喜屋」の店主を務める。
現在は名古屋駅西銀座通商店街振興組合の理事長として、商店街振興にも尽力。

名古屋駅太閤通口 まちづくり協議会会長
河村 満

1956年生まれ。
2012年に名古屋駅太閤通口まちづくり協議会を立ち上げ、椿地区のまちづくりの中核を担う存在として、まちの賑わい等に関する様々な取り組みを進めている。

喫茶River/リバー マスター
堀江 善弘

1984年生まれ。
本職としてダンサーをしながら、2018年に自身の父親が所有する堀江ビルで喫茶リバーを開店。
新しいカルチャー発信基地として、「喫茶リバー」と、フリーペーパー専門店「ONLY FREE PAPER」をあわせて経営する。


昔と今と未来を見つめる
「駅西対談」

ヤミ市と商店で賑わったかつての駅西

河村:昔はとにかく商店が多くて、食品問屋の塊だった。
戦後、ヤミ市と言われるような食品問屋がズラッとできて、朝3時から活気があるというね。
戦争に負けて物価統制で自由に物が売り買いできない、そんなときにどうしても必要なものがあればここに来る、そういう街だったんですよ。その後新幹線が来るということで(昭和30年代)区画整理が行われて、土地が道路とか駅前広場になっていったんですよね。

戦後、ヤミ市と商店で賑わった駅西


玉樹:そうですね。僕の小さい頃(昭和40~50年代)もおもちゃの問屋とかいろいろなお店がありました。子供の頃は街で遊んでいて、新幹線の目の前に広場があってそこで野球したりしていました。今で言うドクターイエローの黄色い新幹線もしょっちゅう目撃していたり(笑)。

堀江:僕の小さい頃(平成初期)でも、もっとお店、それこそ喫茶店がたくさんあった印象です。チェーン店じゃなく、個人の喫茶店ばかりでしたね。

河村:商店の数だけでなく、人口も戦後しばらくが最高でね。牧野小学校の校歌の中に「二千の顔の」って歌詞があるくらいですから。

堀江:僕の通っていた米野小学校はそこまで生徒数少なくなかったですけれど、平成の区画整理で転校ラッシュがあったりして寂しい思いもしました。商店も減っていってね。

玉樹:商店はだんだんと歯抜けになってきて。
子供の頃ってお店がたくさんあったのでもっと楽しかったんですよね。リニアの工事にはもちろん賛同しているんですけれど、そういう意味で「普通の街」になってしまいそうなのが寂しいかな。

河村:銀座通(名古屋駅西銀座通商店街)はお肉屋・八百屋・魚屋さんがなくなって、商店街としての勢いは変わった印象があります。でも、今は今で別の勢いがありますよね。

玉樹:今はマンションも増えてきているので、そういう意味では人も増えていくとは思うんですよね。商店街としてもそこで何かできないかなとは思っています。


リニア開通後の未来の駅西に望むこと

河村:2026年にアジア競技大会、2027年に予定ではリニア開通がありますよね。
リニア開通に向けてまちづくり協議会では「おもてなし」をキーワードに取り組みができないか考えています。
芝生広場のような、集える場所を整備して、「朝・昼・晩、主役が変わる街」としていきたいですね。駅西に住んでいる人も仕事で来る人も、皆が楽しめる場をつくることで経済的にもプラスになるので。椿ちゃん(名古屋駅太閤通口まちづくり協議会のキャラクター)も一緒にね。

リニア工事後の駅西イメージ

リニア工事後の駅西イメージ。芝生広場をつくることで世代問わず集える街をイメージしている。

玉樹:これからの駅西に、昔ながらの下町感を残していきたい。
昔、街の通りなんかでヤンチャをすると街の人によく叱られた。「おもてなし」という言葉が出ましたが、その1歩踏み込んだ「おせっかいな街」というのもいいなと思います。
名古屋駅っていう玄関口の真裏で、雑踏もありながら人とのつながりが強い、こんなところは東京にも大阪にもそうない。この個性を残していきたいですね。

堀江:今のお話で思うのって、今すごく無干渉で、自分の興味の範囲しか見ない人が増えている感じがしますよね。インターネットですぐ検索できてしまうのも大きい。知らない街の知らない路地を歩く、この感覚も大事なのかなと思います。

玉樹:そうですね。自分の興味のあるものにしか、っていう傾向はこの5年10年で加速していくと思います。そうしたときに何を残すかっていうと、おもてなしとかおせっかいとか、いろいろな世代が集っているとか。そういう街になりたいね。

堀江:僕は「フードとアートで賑わう街」になったらと思います。
フードとアート、それぞれの店が個別に動くのではなくて、協力体制をつくることが街の賑わいをつくるための方法の1つだと思うんです。下町の僕らが皆さんと協力して、椿ちゃんのような子とも一緒に何かできることがあるんじゃないかなと思います。
椿フェスタでも、商店街が総出で盛り上げられるといいですよね。


駅西を入り口に、中村公園まで賑わいをつないでいくために

河村:椿フェスタもどまんなか祭りも、商店街ともうまく連携してやっていけるといいですよね。銀座通りで「どまつり」をやった流れを、椿町で受け止めて、関係者が「ご苦労さま」と一杯やれるようなね。
もちろんリバーさんにもお客さんをどんどん流していって。

玉樹:それ、最高ですね。個別じゃなくて、一緒にやっていけるといい。

河村:そういうおもてなし、賑わいを連携でつくっていけるといいですね。駅西エリアが入り口になって、駅西銀座を通って大門エリア・中村公園まで賑わいをつなげていく、そういう構想を今考えているんです。

堀江:代々木アニメーション学院の子たちも、お店によく来てくれています。そういう学生の子たちがチームになって、椿ちゃんのようなキャラクターも活用しながら盛り上げていけるといいです。

玉樹:それも面白いですね。皆と相談して協力しながら名古屋駅西側を盛り上げていけるといいですね。

椿フェスタで賑わう駅西の様子



写真・イメージ 提供:名古屋駅太閤通口まちづくり協議会

EKINISHI NEWS


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